「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
母のこどもに対する願い
解剖学者の養老猛司先生のお母さんは
小児科医の医者で
亡くなる95歳になるまで
現役で医師として働いていたことを
先生の自伝を知りました。
そのお母さんが
養老先生に遺した最後の言葉が
「おまえがこどもの時と同じ顔しているから
安心した」で、この言葉が忘れられないと
語られていました。
解剖学者でバカの壁の著者として
有名になり
超多忙な毎日を過ごした先生のことを
ストレスを抱えて生きているのでは?
とお母さんは心配されていたのでしょう。
こどもの時から昆虫好きだった先生が
オーストラリアで虫を採る番組を観た
お母さんから言われた言葉のようなのです。
僕の親もそうでしたが
こどもの思い出は
小さい時の面影をずっとこころに抱いていて
その無邪気だった時のまま
生きて欲しいと思っているのでしょう。
親にとって
おとなにとっての成功するかどうかよりも
無邪気の心のままで
いつまでも過ごして欲しいと思っているのが
わかった
養老先生のお母さんのエピソードでした。
第三の人
英国の詩人のエリオットに
次のような詩を紹介します。
「いつも君の傍を離れず歩く、
あの第三の人はどなたでしょう。
数えると、君と僕しかいないはずだが
しかし、はるかにつづく白い道を歩む君の傍らには
いつも、もう独りが寄り添う
どなただろう、その方は?}
エリオットは
この第三の人にイエス様を
イメージしたというようです。
日本にもお遍路さんで
同行二人という考え方もあります。
宇宙創成138億年の歴史の中で繋がっている
我々にも
計り知れないものは多々ある。
だから
第三の人がそっと我々に
メッセージを送ってくることがある。
何か感じる
不思議なご縁にであう
セレベティビリテイといわれる
偶然とは思えない偶然の出来事に
出くわすこともある。
我々が気づかないだけで
多くのことが
第三の人の計らいであり
いのちのわずかなリスクでも
直ちに当人につたえようとする
第三の人からのメッセージかもしれません。
生きたように死ぬ
大先輩が
亡くなったという知らせをいただき
葬儀に出席しました。
父より年令も上の大先輩で
一緒に働いたこともなく
面識も一回挨拶できただけの大先輩の医師。
面識なくても
そんな大先輩の医師が
近くにいらっしゃると思うだけで
こころの余裕をもって
日々診療できたと思います。
葬儀に出席させていただき
大先輩の人となり
その最後の瞬間をお聞きできた。
とてもいつも物静かな方であり
大病を患っていたにも拘わらず
高齢であったため根治治療はせずに
ご自宅でゆっくり過ごされたようで
最後の時も
付き添いの方も気づかないぐらい
眠るように
天に召されたという話でした。
確かに、とても閑かな先生であることは
お会いした時にも感じました。
そして、その状況が
臨終の時まで続いたようで
そのお人柄どうりの最後だったようです。
人は
生きたように死の瞬間を迎えるのかもしれません。
そして
その夜
寝ている時、先生がお礼に
訪れた気がしました。
これも先生のお人柄ですね。
これまでお疲れ様でした。
安らかにお休み下さい
スマホで子守りをしたら
最近ガラガラって
見なくなったと思いませんか?
診察に来られる
赤ちゃんも
めったに持ってません。
それに代わって
診察室の入ってくる
こども達の手には
スマートフォンを
手にして入ってきます。
3歳ぐらいになると
小さい指で
上手にスクロールして
画面を見てます。
さすが、こどもの
覚えは早い・・・なんて
感心している場合じゃないんです。
実はこれって
とても危険な行為なんです。
スマートフォンに
子守りさせてないですか?
スマートファンで子守りって
危険なんですよ。
そこで
今日のあわてない育児は
スマホで子守りをしたら
です
実際
スマートフォンで
子育てアプリってたくさんあるんですね。
夜泣きや泣いている時でも
泣き始めたら
スマートフォンの画面を見せて
泣き止ませようとする
若いお母さんは実際増えているようです。
ちょっと前なら
赤ちゃんが泣き始めたら
抱っこして、
やさしい言葉をかけて
あやして
・・・・
そんな時間に
赤ちゃんは安心して
泣き止んでたと思います。
その時
赤ちゃんの脳の中には
セロトニンという
しあわせを感じるホルモンが
たくさん出ています。
だから
赤ちゃんは満足して
泣き止むのです。
このことは
実はこどもの成長には大事な事。
泣く→あやす→泣きやむ→泣く→あやす→泣き止む→・・・・
という行為を
何百回、何千回と繰り返しながら成長していく
そんなしあわせを感じながら
しあわせな時を体に浴びて
こどもは成長していくのです。
ところで
スマホで泣き止んだ赤ちゃんには
実は
しあわせを感じるセロトニンは
分泌されてないんです。
スマートフォンの映像をみて
驚き、さらに映像を注意深くみようとして
どんどん攻撃的なノルアドレナリンがでてくる。
だから、いつも頭は興奮状態。
大きくなると
いつも攻撃的
”イライラ脳”になってしまうんです。
脳の細胞は
20歳前後で最大になるとかつて
考えられていましたが
最近では
1歳半で最大になることがわかってきました。
また
脳が発達するためには
外からの刺激に反応して
発達することもわかってきました。
つまり
赤ちゃんの時の環境で
こどもはかわってくるのです。
赤ちゃんが
お母さんに愛されていると
感じて安心した経験が
赤ちゃんの脳の発達に
大きな役割を果たしています。
脳は外からの刺激で
良くも悪くもなります。
そして
赤ちゃんに
100%のあなたの愛情をかけてあげられるのは
今しかないかもしれません。
だから
泣いていても
笑っていても
いつも
お母さん、お父さんの
愛情をいっぱい
あげて下さい。
命は地球よりも重い
僕は
人間が生きていくには2つの面が
必要であると思います。
ひとつは
衣食住という動物的欲望を満たす
いわゆる生活面を重視する面「生活体系」
そして、もうひとつは
真善美を求めて行動する人格を形成する
いわゆる生命を重視する面「生命体系」
この両面から
いのちは支えられていると思います。
もう少し具体的に言うと
生活体系とは、いのちを支えている活動のこと
つまり
利益や欲望を充足させるという経済法則を重視したもの
これに対して生命体系とは
いのちは尊いものだというような
親子のつながり、日本で生まれたことによって
培われた道徳的なつながりとも言えるもの
この2つの体系、価値観の中で
僕たちのいのちは支えられ
生きているのだと
改めて自覚させられた気がします。
昭和50年代に
日本赤軍がダッカで飛行機をハイジャックし
身代金などを要求したダッカ事件がありました。
その時の総理は
「人間のいのちは、地球よりも重い」と
様々な批判を交わして
16億もの身代金を決断して
乗員乗客のいのちを救ったと聞きました。
今回の政府の動きは
ダッカ事件の時とは異なり
いのちだけでなく経済重視するあまりに
迷い行動できなくなってるように
僕は見えてしかたありませんでした。
ダッカ事件から時は流れ
時代は昭和から平成、令和と変わり
その間平和で豊かな時代を過ごしすぎて
明日の喜びより、今日のパンを求める生き方を
してきた日本人の体質が
決断できなくさせているような気がします。
人はパンがなくては生きていけないけど
パンを美味しく、そして有り難いと思える気持ちを持って
僕たちは生きていかなければならないってことに
気づき、その気持ちを大事にして
これからは生きていかなければならないのでしょうね。
、
食の黄金ルール
現代ほど、食べ物に恵まれた時代は
なかったと思います。
食は栄養を補う目的だけでなく
食を楽しむことにまで
気持ちが向くようになりました。
それだけ
食に恵まれている時代になったのですが
その反面
かつてないほどの病気が
食によって引き起こされることもあり
健康に過ごすために
これを食べた方がいい
逆に食べない方がいい
という食の情報にあふれています。
確かに
食べることが
健康の基本であることは
今も昔も変わりはありません。
でもこれだけ食生活が
多岐にわたると
万人に共通する食に関する
黄金ルールはこの世には存在しません。
それに、人間の体質も
千差万別でもあるからです。
だから
誰にとってもいいものは
誰かにとっては毒にもなってしまうこと。
を知らないといけません。
そして食べてみないとわからない点もあります。
だから自分の舌を信じるしかないかもしれませんが
言えることは
「食べ過ぎず、偏らず」ということかも
しれません。
守命者として
九州大学大医学部第二外科の前原喜彦教授が
退官されました。
前原教授の最終講演で
同教室訓だという「一に人格、二に学問」を引用され
「人格を磨き、社会に貢献する外科医へという思いで取り組んでいた」
と述べらました。
おっしゃる通り
教授就任以来、約15年間で
お弟子さんが26人も教授に就任されているそうです。
そして
医療人としての生涯振り返られ
医療人の生涯をたるもの
「人類への奉仕の生涯」
「自分への厳しさが求められる生涯」
「休むことのない生涯」
の3つで表現され
「医療人は労働者でもあり経営者でもあるが、
『守命者=命の番人』としての自覚と社会的な認識が必要」
と説かました。
人間医師として
あるべき姿は
平安時代に書かれた
日本で最古の医学書「医心方」にも
すでにこのように書かれています。
「医師が患者さんの治療に当たるときは
心静かに、精神統一し
何かを欲したり、求めるのではなく
患者さんをただ慈しみ、いたわる心で
命あるものを心から救いたいと
念じなければならない。
病気の人に救いを求められたら
誰でも同じように
親が子を思うように接しなければならない。
患者さんの苦悩をみれば
自分のことのように悲しみ
救いを求められれば
どんなに疲れていても
空腹や喉が渇いても
我がことを忘れ
一心に患者さんことを考え
自分の利益や名誉を考えてはならない。」
(医心方 現代訳より)
医療人として、命の番人としての
日本古来からずっと引き継がれ
これから後進のために
伝えていかなければならない
大切な心構えだと思います。
そして
最終講演の最後に
前原先生はスライドに
教授就任以来教室に在籍された
教室員全ての名前を流し
謝辞を述べられたそうです。
実は
前原教授とは
専門外なので、全く面識はないのだけれど
医師として、
どんな時にも忘れてはならない大切なことを
伝えてくれたことに感謝です。
これからの医者人生
守命者として更に精進することを
ここに誓いたいと思います。
こどもは小さなおとなじゃない
この春
アレルギー学会主催の
アレルギー講習会に参加してきました。
この講習会は
学会でいう知識の最先端を報告というより
新たな知識、技術を
医師に伝えようとするのが
主な目的。
今の臨床的に新しい知見は
毎日のように発表されています。
その中で、よりエビデンスがはっきりしてきたもので
もっと臨床に使ってもらおうと
始まった研修兼学会なのが
この講習会。
僕が今とても興味があるのは
免疫療法という
スギやダニアレルギーを持っている人に
抗原を投与して
免疫を高めようというもの。
この治療は
経口でできること
5歳以上のお子さんからできること
アレルギー性鼻炎にしか適応がないが
この治療を行っていると
喘息などのアレルギーマーチの進行を
遅らせるのでは
・・・など実際臨床に導入したい内容。
ただ
最低3年は続けなかったり・・・
ちょっと患者さんにとっても根気のいる治療。
特にこどもの場合は
なかなか継続が難しいという
現場の声が聞こえてきた。
そんな中で
登壇された小児科の医師が
こんなことを話してくれた。
こどもにも治療を選択する権利がある。
だからしたくなかったら
しなくてもいい権利はある。
でも、その前に
保護者だけでなく、こども独りひとりにも
なぜその薬が必要か
それを飲むことでどんな未来が待っているか
こどもにわかるレベルではなしましょう。
例え、赤ちゃんでも
ちゃんときいてくれますよと。
本人が納得してくれれば
継続治療だって可能。
これは舌下治療に限ったことでなく
全ての小児科医へのメッセージだと受け取った。
この講演の中で
こどもは、小さなおとなではない
という言葉がこころに残った。
☆5/19「どう生きてどう死ぬか」の出版記念講演会
&ヴァイオリン&ピアノコンサート
多くの方にお越しいただき
無事終了することができました。
みなさんの温かい気持ちに支えられた時間でした。
どうもありがとうございました。
今回のコンサートの収益の一部を
赤い羽根共同募金を通して
能登地震復興支援のために102205円を寄付したことを
ご報告させていただきます。
アルツハイマー病
年をとると
なりたくない病気のひとつに
アルツハイマー病や認知症がある。
年をとると物を忘れやすくなったり
物事を憶えられなくなる。
これを人は老化の仕業と考えるから
年をとりたくないと考えてしまう。
でも、病気になるのは
病気なりの意味があると考えると
認知症になるのにも
大切な意義がある気がしてくる。
アルツハイマー病や認知症と診断されたかたは
じつはありのままの自分を
さらけ出して生きている姿なのかもしれません。
世間体など気にせず、自分らしく生きようとする姿が
周りから見ると
異様に見えてしまうのかもしれません。
自分に正直に生きようとするので
周りとの軋轢が生じ
傷つきやすく、感情のバランスもすぐ崩れてしまう。
これまでと違う人になったように
周りの人は受け取るので
人が変わった、人格の病だと思ってしまう。
でも反対に考えると
世間体を気にして、本音と建前を
正しく?使い分けている僕たちの方が
問題であるのかもしれない。
アルツハイマーになると
自由すぎてこれまでの姿が変わることに
周りは悲しみ、元に戻って欲しいと願う。
そこで、忘れてはいけないのは
認知症になっても
わたしはわたしであり
世界に二人とはいない唯一の存在なのです。
感情だってある、もちろん自尊心も備わっていることを
忘れてはいけないと思いうのです。
☆5/19「どう生きてどう死ぬか」の出版記念講演会
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手と医療
手と医療には
切っても切れない関係が昔からある。
手当という言葉があったり
手遅れなどと医学が及ばないことを
表現することにも度々
手という表現を使うこともあります。
手と医療の関係は密接にあるのは
日本だけではなく
ドイツ語ででは
良いお医者さんにかかることを
良い手と言ったりするらしい。
医療の現場でも
触診を大事にしたように
患者さんを振れることは大事な診察法です。
ただ最近は
診断機器も発達し触診などより
血液検査やCT、エコーなどの
診断機器を重視するようになり
患者さんを話したり、聴診器をあてることさえ
少なくなっているという話を
よく耳にします。
機械任せでは
患者さんの病気は診れないと思います。
僕は必ず触診を行っています。
患者さんの身体に直接
聴診器をあてたり、触れることで
患者さんの今の状態がわかります。
これから悪くなるのか、治る過程なのか。
同じ熱があるでも
このふたつの状態でも
お話することが変わってきます。
そして
触診でその炎症がどこから来ているかも
わかってきます。
明らかに正常な状態とは異なっているからです。
僕は触診することで
身体からのメッセージを受け取っていると
思っています。
ですから
触診は、今でも大切な
医療機器にも負けない診察法です。
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