真実の医療」カテゴリーアーカイブ

最先端の医療に触れ

最近では以前のように
学会も開催され、出席することが増えてきました。

学会に参加すると
現在の医学の状況、これからの課題が
はっきり認識できるので
参加することはとても意義のあることです。

今日のブログは以前学会に出席した時の
気持ちを書いています。
今でも同様な気持ちなので
今日はまた再掲させていただきます。

「久さしぶりに
福岡の小児科学会に参加。

目的は
谷口英樹横浜市立大学医学部教授の
iPS細胞を使った肝臓再生医療についての話。
「ヒトiPS 細胞を用いた代謝性肝疾患に対する新規治療法の開発」
を聴くこと。

山中教授が発見したiPS細胞。
その素晴らしい細胞を人にどのように活用するか
それがこれからの大きな課題。
それをどこまで臨床的に活用されるかは
これからの医療発展に大きく関わっていること。

iPS 細胞を
細胞として移植した方がいいのか?
臓器として移植した方がいいのか?
そこがまだ定まらない中
谷口教授は
肝臓の芽として移植を提唱。

体内で組織の芽としての細胞を移植して
その細胞が体の状況に合わせて
変化してくれることを証明して
今移植界で、脚光を浴び
今後を期待されています。

将来肝臓病で苦しまなくてもよくなる?
日が来る日近い・・・と
ワクワクして聞いていたけど
ふと思った。

人が考えたように
肝臓の芽の細胞が、めでたく肝臓として
働くようになるには
細胞に生命の息吹を吹き込まないと
肝臓には変化しない。
そのために
“生命の息吹”
何らかのエネルギーが必要ではないだろうか?

それは
もともと持っている治癒力?
生まれた時に備わっている生命力?
そして治りたいという本人の気持ち?
治ってもらいたいという家族の思い?
そして、もしかしたら
まだ生きよという
“神の叡智”が必要かも。

再生医療の成功には
技術では計り知れない
まだ、人間が到達していない
大きな力が必要なのだとも
講演を聴きながら感じた。
だから
どんな時も奢ってはいけない。
ただただ、純粋に
目の前の患者さんの幸せを願う気持ちを
忘れてはいけないと思った

2018年6月

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元気になったから病気が治る

僕は病気を経験してから
生きているということを実感するようになった。
それと同時に
生きているのは自分自身の力だけではなく
周囲からの協力のおかげ
そして自分自身のからだの中にある
力のおかげだと日々感じるようになりました。

その様に感じることが
心身ともに健康であるということでは
ないかという風にも感じるようになった。

健康についての考え方も
病気の前と後では少し変わってきました。

現代医学では
「病気が治ったかた元気になる」と考えるけど
実は
「元気になったから病気が治る」のではないかとも
思えるのです。

現在
病気が治らない人
何らかの症状に悩まされている人
が増えている気がします。
からだの不調を訴えても
現代医療では異常が見つからないから
病気ではないといわれても
からだの不調は現実的にあるわけです。

元気がないから
つまり気(エネルギー-)が元に戻ってないから
病気が治らないのです。
気が減っている状況は
メタトロンをするとわかります。

気を整えると
病気になりにくいからだになるのは
間違いないとことだと僕は思います。

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人生で一番大切なことにお金を使う

人生で一番大切なことにお金を使う
お金が貯まっていくのは
誰もが楽しい、うれしいと思えるでしょう。
そして
お金使う時にも
使ってよかった、楽しかったということに
お金が使っていると
それはお金が減る以上の対価を
得られるはずです。

そんなうれしいお金の使い方は
思い出にお金を使うことです。

人生で一番遺していたいものは
お金ではなく
思い出だと思うのです。
どんなに多くのお金を遺していても
お金の額も価値もいつか無くなってしまいます。
でも思い出は時が経てば
増えていくこともあります。

人生で遺していたい一番大切なものは
思い出。
思い出を積み重ねることに
お金を使えば、お金の価値が額以上に増えるのです。

死ぬ間際になって
どれだけお金があっても
それは意味のないことです。
それよりも
愛する家族や友人と一緒に過ごした思い出こそが
人生の最期に旅立つ時に
本当のしあわせを感じさせてくれると思うのです

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真心を持って生きる

生きていくために
何かひとつをこころに留めて
生きていこうとするのだったら
それは、真心を持って生きていく
ことになります。

真心を意識していると
人と接する時には
相手の気持ちを持って言葉を選ぶようになります。
だから相手を傷つけることも言わないし
人間関係でトラブルに巻き込まれることも
少なくなるでしょう。
真心を持って生きていれば
誰かに意地悪なことをすることもなく
人を蹴落とそうなどという
考え浮かばないはず。

そうすれば
パワハラ、セクハラ、マタハラ、カスハラなど
次々出てくる○○ハラスメントなんて
無縁で生きることができでしょう。

仕事をする時も
家族に対してであっても
真心を持って接すれば
文句を行くこともなくなるし
サボろうなんて考えもうかばず
こころを込めて毎日一生懸命
生きることができるはずです。

真心を込めて生きることは
自分以外の人に対してベストな対応ができるので
自分が気持ちいい方向に運んでくれます。

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己の魂に近づくのは

「病人は健康な人よりも
己の魂により近く迫るものだ」
これはフランスの文学者プルーストの
言葉です。

僕は病気をして
本当にその通りだと思います。

健康の時は
やるべきことが多くて
多くの人に気を配らなくてはなりません。
だから
自分と向き合う時間は少ないもの。

病気になると
自分がこんな状況になってしまい
自分以外の人のことを
見れる状況ではなくなります。
そして
その代わり、自分自身に向き合う時間が
増えてくるのです。
自分と向き合い
自分自身と語り合うことで
気がつくことがあります。

自分自身が何を大切にしないといけないもの
これからどう生きていくか
どうして生まれてきたか?
どんどん自分自身を深掘りしていきます。

そしてたどり着くのが
己の魂の存在と言うことでしょう。

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ほとんどよくなっている

「その後どうですか?」と聞くと
「だいぶんいいです」とか
「ほとんどいいです」と言われると
とても申し訳ない気持ちになる。

なぜなら
「ほとんど」といわれると
よくなってない部分があると言うこと
気になっている部分があることが
クローズアップされてる気がして
気になって仕方なくなる。

医者として
もっとその患者さんに
尽くさないとという気になる。

完全に治ってもらいたい。
病気の治療に医者に遠慮なんていらない。
諦めないで治してもらいたい。

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コーカサス地方の人々が長寿なのは?

長寿の人たちの暮らし方を研究することで
長寿の秘密を探ろうとする。

代表的な長寿国(地方)は
日本、地中海、そしてコーカサス地方は
よく研究され
和食が注目されたり
オリーブオイルがいいなどと言われてきた。

それも一理あるだろうけど
食事だけが全てではありません。

「コーカサスの教え」の著者ベネットは
「孤立とか淋しさは人を殺す」という風に
食事と、運動に気をつけていても
老人を大切にしていない
老人を尊敬していない若者志向の社会は
長寿かどうかに関与しているというのです。

コーカサスの社会では
日本のように定年を迎えると
社会との関係が途切れると言うことは
ありません。

家庭においても
年寄りは死ぬまで家長であり
自分の責任を果たす立場にあるのです。

死ぬまで
人は人の社会の役に立っていると
感じて生きることが
長く生きることに繋がるのでしょう

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共に生きる医者

毎日クリニックには
様々な患者さんが来られます。
熱がある、咳が止まらない
眠れない、痛みが続く
だるい日が続く・・・・
悩みは様々
そんな方々に
病名をつけようとするのが
仕事だと思ってる
医者は多くいる
でも
僕の目の前の患者さんは
苦しんでるのは
理屈で考えられるような
言葉としての病名を
聞きたいのではないと思う。
患者さんが知りたいのは
決して
病名ではないはず。
苦しみは
しあわせと同じように
つかみどころのないもの。
花から搾り取られた香水のような
決して
野に咲く花と同じではないけど
目に見えるものではないけど
もっと、もっと純粋で、深いものだと思う。
考える病名をつけて
苦しみがなくなるわけじゃない。
目の前の患者さんは
苦しみの病名を聞きたいのではない。
言葉だけの 苦しみではなく
人として
苦しみを受け入れてもらいたいのではないか?
医学という目で見る医者ではなく
人間として共に生きる医者として
そして
同じ時を生きる人として
考えることが大切なのだと思う。

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こどもたちの未来のための選択

なぜ、自分は小児科医になったのか?
科を選ぶ選択はたくさんありました。
でも、今思うことは
この科を選んで
こどもたち中心に考えて
生きてこれたことに感謝し
とてもよかったと感じます。

学生時代
九大小児科に見学にいった時
当時の医局長の南先生が
「こどもにはお金の価値では表せない
大切な財産だ
そこに携われるのは大きなことだ」と
仰ったのを今でもはっきり憶えています。

こどもの未来は
社会の未来なんです。

人は老いていき
いつかこどもたちが街の
未来を作ります。

こどもたちの明るい未来に手を貸すことは
社会全体、世界全体への
明るい未来に直結すること今実感しています。

こどもが明るく笑顔でのびのび成長できる
社会を作っていくのが
今のおとなの責任。

周りのこどもたちの笑顔があふれる社会に
もっともっとなるように
僕も小児科医として
もっともっと頑張っていきます。

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永遠のいのちを得るためにすること

人はいつ死ぬかは
誰にもわかりません。
だから、その不安を払拭しよう
長生きしようと誰もが考えてきました。

永遠のいのちをえることができれば?
これは人間の永遠の願いかもしれません。

この永遠のいのちを得るための
考え方が日本人と西洋人とでは
大きなちがいがあるようです。

西洋人はどちらかと言えば
肉体を長くもつことで永遠を
手に入れようと画策している。
それに対して日本人は
肉体には限りがある。
だけどこの肉体が滅んでも
自分の思いを引き継いでくれる人がいたら
自分のいのちは永遠に生き続ける
と考える人が多いような気がします。

これは
周りの人を生かすことで
自分もいきていくという
利他の心が根付いてる気がします。

あなたは
肉体を滅びない方法で
永遠を生きていきますか?
それとも
こころを繋いで生き続ける
生き方。
どちらを選びますか?

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