投稿者「santa」のアーカイブ
挫折は人生の折り返し点
人生は順調な時ばかりではない
失敗したり、病気になったり
どうしようかと悩み、苦しみ
これまでの人生を考え直さないといけない時が
誰にもあるでしょう。
そんな苦しい状況で味わう挫折は
振り返ってみると
人生の折り返し点、方向転換点に
なっていたことに気がつきます。
挫折の時にも
逃げることなく、その挫折に
正面から立ち向かっていくと
いつまでも挫折の苦しみが続くわけではなく
挫折の先にあるのは希望が見えてきます。
希望を感じたその瞬間に
あふれてくるのが感謝の気持ちです。
ですから
挫折を感じた時は
人間成長するチャンスをいただいているのです。
逃げずに、正面から立ち向かっていきましょう。
「あたま」との付き合い方
毎日診察して感じることは
自分自身の「あたま」「からだ」「こころ」
との関係です。
この3つが整って
初めて健康になるのです。
つまり、
「からだ」が心地よい方向に向かうには
「こころ」が求める方向に生き方がかわり
「あたま」がその2つが望む方向に働けば
健康と感じられるのです。
でも、受診される方の多くは
「あたま」中心の考え方で生きている方が
多くいらっしゃいます。
「あたま」はこれまでの経験したことを元に
「こうすべきだ」「こうしなければならない」という
義務系や命令形で伝えられ
「こころ」からの声は
「こうしたい」「これが好き」「心地よい」という
メッセージを送ってきます。
そのどちらのメッセージを受け取るかで
あなたのからだの状態が決まってしまいます。
いつまでも不調に悩んでいる方の多くは
「あたま」からのメッセージに悩まされている方が
多いような気がします。
「あたま」とのある程度の距離感をもつことが大事。
「こころ」からの声にも耳を傾けることが大事です。
こうはいっても「あたま」もあなたの
体の一部ですから
決してあなたをおとしめようとしているわけでは
ありません。
「あたま」も必死で頑張っているのです。
ただ、情報が多すぎることが原因で
「あたま」も過重労働状況に陥っているのです。
ですから
「あたま」を休ませて下さい。
頭が疲れていると思ったら
スマホ、パソコンのスイッチを切ったり
スマホの電波の届かないような
自然の中に身を置くことが
大切なのです。
あなたが今聞いているのは
「あたま」から、「こころ」からの声ですか?
愛と愛情とのちがい
愛と愛情という言葉は
似ている言葉ですが、全然違う言葉なのです。
愛と愛情のちがいを知って
愛を施さないと
相手に対する愛が思わぬ方向に進んでしまいます。
愛というのは
無条件で、しかも厳しいものなのです。
愛情は、愛の下に情という字が入っています。
無条件の愛だったことに
様々な気持ちが入ってしまうのが
愛情なのです。
愛の部分では
やってあげないほうがいいとわかっていても
かわいそうだから
助けたいからと情けをかけて
手を出しまうこともあるでしょう。
愛と愛情が身近でよく混同されるのは
子育ての部分でしょう。
かわいいから、かわいそうだから
自分と同じ思いはさせたくないから
みんなと違ったらかわいそうだから
困らせたくないから
・・・・・など愛の部分を超えて
自分の気持ち、思い込みをこめた
愛情をかけてしまう場面が多くなって、
からだの不調、精神面のダメージを
きたして受診するこども達が増えている気がします。
愛は基本厳しいものです。
愛と愛情のちがいを知り
情けをかけ過ぎないようにしましょう。
病と闘う時代は終わった
これまでは、病気になると
闘病生活に入ると言ったり
病との戦いに勝って必ず元気になって帰ってきます
など、勇ましい言葉で病気と闘おうと
誰もがして、元気になろうと考えてきました。
しかし
「病と闘う」「病を撲滅する」といった
暴力的な発想で生きるのではなく
これからの時代は、病を理解しながら
健康・調和・しあわせを実現するという
感覚をもって生きることが
大切になってきます。
ですから
これからは病気を治すだけでいいという
発想を変えないといけないのです。
病気が治れば健康になるのではなく
健康だから病気も治り
病気ともウイルスとも共存できるようになるのです。
病気を治すことだけにこだわっていると
「病気の症状は消えたのに
体調がすぐれない」と言うことが
おこってしまうのでしょう。
一般的に病気と健康は
逆の立ち位置にあるようにおもいますが
そうではなく
病気と健康はお互い補う関係性であると
思えるのです。
ですから
人は病気を経て健康になり、
健康を保ちために病気になることも
必要なのかもしれません。
転んだら起き上がればいい
人生には、成功することもあるけど
もちろん失敗することだってある。
逆に
成功だけの人生
失敗だけの人生はありません。
人生には
失敗もあるし、成功することもあります。
だから
人生を道に例えれば
人生転ぶことがあるります。
転ぶことがけっしていいことだとは思いません。
できれば転びたくないのもわかります。
が、人生には、小さな失敗は必ずあります。
失敗する度に
誰もがくよくよと落ち込みがちです。
でも、そんな時
人生に小さな転びまたは大きく転んだとしても
転んだら立ち上がればいいのです。
「人生とは転ぶものだ。
転んだら立ち上がればいい」
と思えば、毎日何が起きても
明るく生きていけますね。
さようならの意味
長い人生の中には
出会いもあれば別れもあります。
特に別れの瞬間には
喜びも悲しみの感情が
一気に教え寄せてきて
その時の感情を複雑にして、本人自ら
混乱してしまうこともこともあるでしょう。
別れは、学校、職場だけの別れではなく
恋人との別れそして死別など
僕たちの魂まで揺さぶられるような
経験をすることもあります。
そんなこころを揺さぶられる別れがあっても
ひとりの努力できるものではなく
自分の力が及ばないことだってあるでしょう。
「さようなら」の語源は
「左様なら」だと聞いたことがあります。
別れは、自分ではどうにもできないもの
そうであるならば(左様であるならば)
別れの感情も全てごまかさずに
ありのまま受け止めて
一緒に経験したことを未来へとつなげようという
気持ちが「さようなら」の言葉に込められている
と思うのです。
「みずから」と「おのずから」
「みずから」(自分から)という言葉と
「おのずから」(自然に)という言葉が
日本語にありますが
この言葉を漢字で書くと
同じ字「自ら」という漢字になります。
人は60兆にも及ぶ細胞から
僕たちの意志とは関係なく
「おのずから」の生きる力をもらって
僕たちは生きています。
そして、生きて行く力をもらった僕たちは
自分の意志で
「みずから」の人生を歩んで行けるのです。
自らの命を生きているようで
この字をどう読みますか?
この字をどう読んでも
僕の、あなたの人生は
そっと見守られている気がするのです。
宇宙に善悪は存在しないのか
この世に起こるできごとは
総じて見方によって違う
意味合いをもつことになります。
戦争が起こった時は
方や侵略ととり方や防衛と
主張するでしょう。
だから戦争はいいも悪いもなくて
やってはいけないことです。
つまり、この世におこる出来事は
立場が変われば善にも悪にも
なるということです。
このことを意識して過ごせば
人を攻めることも
自分を卑下することもなく
誰とも仲良く生きていく
平和な世界が訪れると思うのです。
こころを込めて生きるしあわせの道
「誰に、どうみられようと
わがこころを込める道があり
生きていくのがしあわせなのだ」
これは
からだの筋肉が動かなくなる
ALSという難病にかかり
現在ベット上の生活にも拘わらず
感情豊かな詩やエッセイを書き続けている
岩崎航氏の詩です。
彼は、この詩を通じて
人生、どんな状況でも
人生込めて生きる道をみつけることができます。
だから
どんな状況であっても
生きていることだけで
しあわせなのだと
僕たちにこころ強く訴えてくる詩です。
今どんな状況であっても
心を込めて生きている限り
しあわせなことなのです。
いのちの居場所
コロナのパンデミックが終息し
コロナ感染が日本でも5類となり
人々の生活は
コロナ前に戻ってきました。
しかし
生活は元に戻っても
コロナ感染がなくなったわけではなく
インフルエンザが流行した時期でも
コロナはここにいるよと知らせるように
時折顔出して
主張するのです。
コロナ感染を怖がってばかりの時期は
過ぎました。
今こそ
コロナウイルスが
教えてくれたことを考えておかないと
また同じことをくり返すことになります。
今
全世界にコロナウイルスが流行した意味は
全世界の人のメッセージが
あると思います。
それは
地球上に生きている全ての生物
動物にも、植物にも、ウイルスや細菌にだって
居場所があるということ。
全ての生物が生きていける「いのちの場所」を
考えて生きていくことが
これからの地球全体に必要なことではないでしょうか。
このことが
人間を含め地球が
よりよい共同体や社会を形成するにあたって
重要なことだと思います。
それぞれにはいのちの場所がある
だから
social distancetoということを
学んだ(学ばされた)気がするのです。
これは
ウイルスから防ぐためではなく
それぞれが生きていくための
いのちの場所を大事にしなさいという
地球全体からのメッセージなのだと思います。