誰もが
これからどんな風に生きようかって
考える時があると思う。
高校生も、大学生も、社会人になっても
結婚しても、親になっても、
おじいちゃんになっても・・・・
年齢に関係なく、
誰もがどんな風に生きようか
と考える瞬間があるのだと思う。
生きている先に必ずあるものは”死”
誰にでも最後は”死”が訪れる
誰もが”死”に向かって毎日生きている
つまり
今生きていると言うことは
例外なく”死の途中である”という事実。
だから
生き方を考えることは
実は、どんな風に死を迎えると
言うことなのかもしれない
今どんなに成功してても
今どんなに絶望の淵にいても
今どんなにしあわせであっても
今どんなに不しあわせだと思っても
それは
今は、その人の最終結果ではなく
まだ人生の途中段階ということ。
「死に物狂いで頑張れ」
「死ぬ気になってやれ」なんて
檄を飛ばすことがある。
でも、今どんな風に生きていても
次の瞬間に死ぬかもしれないから
毎日が命がけの連続
誰もが毎日
死ぬつもりで頑張っている状態じゃないか
今生活にもがき苦しみ過ごしていたとしても
今だらだらとした生活をしていたとしても
この瞬間を精一杯生きていることに
なるんだと思う。
この状態が死ぬまで続けたいのか
この状態のまま死を迎えたいのか
どんな死を迎えたいのか?を考え
それに向かって生きることが
生き方を考えると言うことかもしれないと
どのような死をを迎えたいのか?
東京へと向かう新幹線の中
次々風景が変わる車窓を眺めながら
ふと”生きる”について考えてみました