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年別アーカイブ: 2025
偏食
秋は実りの秋。美味しいものがいっぱいです。
そして、食欲の秋です。
でも、この時期になると
「内のこどもは食欲がありません」とか
「好き嫌いが多くて困ってます」とか
食にまつわる悩みを耳にすることが
多くなるような気がします。
それは、そうですよね。
食事は1日に3回あります。
そして、毎日のことですから。
そこで、今日は
偏食であわてないようにです。
”食べる”という行為は
自然の恵みを収穫し
それを料理して、自然の恵みを楽しくいただくという
一連の行為のことです。
ですから
”食べる”ことは楽しいことなんです。
食べることが楽しければ、それでいいんです。
食べることが楽しくなかったら、それは問題なんです。
まず、楽しく”食べる”ことを目指してみて下さい。
でも、食べないと心配になりますよね。
最初に定義ですけど
”偏食”とは摂取できない栄養素があること
肉は食べれないけど、お魚は食べれる。
固いものはだめだけど、柔らかくすると食べれる。
野菜は食べられないけど
細かくしたり、ジュースにしたら大丈夫
などは
別の手段で栄養分がとれるので
”偏食”でなく”好き嫌い”ってことになるんすね。
偏食っていっても
お肉がだめなら、魚でタンパク質を補えばよい
野菜がだめなら果物で栄養分がとれれば
大丈夫ってことですね。
好き嫌いがあっても
食べ物の好みは、年齢とともに変わります。
年齢が進めば
食べ物の美味しさに気がつくかもしれません。
小さい頃から、食事を言いすぎると
食事を摂ることが嫌になってしまいます。
食べることが嫌になってしまいます。
嫌いなものがあってもの
「ちょっと食べてごらん、嫌いだったらぺっと出していいから」と
すすめてみて下さい。
口から出しても、少しは食べれたことがとっても大事なこと。
人には、それぞれ得意、不得意があるように
好き嫌いもあるのだと思います。
それも個性だと思うといいですよね。
好き嫌いをなくす食事から
楽しく食事をすることの方を目指しましょう。
そして
こども達に伝えたいことは
お皿に上に載っているものが
自然の恵みであること
多くの人の手によって食べられていること
そして
お母さん、お父さんの元気で育ってもらいたいという
願いが込められてることを
伝えることが大事だと思います。
感謝の気持ちを持てるようになり
楽しい食卓から、一歩進んで感謝の食卓になると
素晴らしいですよね。
カテゴリー: 子育て
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人生3万日
人生80年を生きる日を
日数でいうと約3万日ということになり
5千日ごとにその年齢に応じた役割があるのです。
生まれてから14歳までの5千日は
ひたすら「感謝」のこころを育てる時期。
次の27歳までの5千日は
がむしゃらに「学ぶ」時期。
更に41歳までの5千日は
学ぶことを「実践」する時期。
それから55歳までの5千日は
己の人生を「構築」する時期。
その次に訪れる68歳までの5千日は
今まで得た集大成を後に続くもの達へ
「還元」する時期。
そして、80歳までの5千日は
ここまで生かしてもらった社会に対する
「奉仕」の時期なのだというのです。
こういう区切りを頭に置いて生きると
人生の生きる目的が見つかりやすいですね。
カテゴリー: 今日の言葉
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医学と量子力学
ナチュラルメディカルセンターで行ってる治療を
説明するためには
アインシュタインに触れないといけません。
アインシュタインは偉大な物理学者。
アインシュタインの提唱した量子力学は
今までの考え方を覆すものでした。
これまでの物理学とのちがいを
僕なりの言葉で言うと
これまでの物理学は
目に見えるものの法則性を見つける科学
量子力学は
目に見えないものの法則性を見つける科学
医学界は
これまでは、「人間機械説」という考え方のもと
人間の体は、機械のように部品でできている
だから、病気の時は
機械の部品を修理するように治せばいい。
そして、科学はどんどん進歩し
部品事態を取り替えるようになり
再生医療が花盛りになりました。
一方で
アインシュタインが提唱した量子力学の観点にたてば、
私たちは絶え間なく動き回る
分子、電子、素粒子で構成されています。
そして
肉体からそれを構成する最小単位の素粒子に至るまで
すべてのものがエネルギーを持っているのです。
言い換えれば、
人間の体も、すべてのものも
純粋なエネルギー体だということ
そして
自然治癒力をエネルギーとして
捉えられるようになったのです。
これまで、
エネルギーは目に見えなくても
感じていたと思います。
ヘトヘトに疲れると
病気に対する抵抗力が弱まることは
誰でも知っています。
エネルギーレベルが低下しすぎると、
筋肉から免疫系や心に至るまで、
あらゆる部分が緩慢になって、
ベットからでるのが
つらくなることもあったでしょう。
つまり、エネルギーは
あなたの基本的な生命力です。
プランクトンから人間まですべての生き物は、
エネルギーを持ってます。
病気の時にはエネルギーが低くなっています。
エネルギーを回復させることも
医療なんです
ナチュラルメディカルセンターでは
メタトロンとオステオパシーによって
そのエネルギーを調える治療を行っています。
☆今日午後は、クリニックはお休み。
午後の山口で収録が終わっての一枚
ホッとした瞬間、写真を撮られました。
いい時間を過ごせたことに感謝です。
カテゴリー: 真実の医療
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黒川の女達
この映画は
1930~340年代、政府の国策のもとでおこなわれた
岐阜の黒川村から満州の地に渡った開拓団が
生きて日本に帰るために
18歳以上の未婚の女性に接待をさせた。
みなが生きて帰るために
文字通り体を派って、辱めにも耐えて
生きて日本に帰ってこれたのに。
彼女に待ち受けていたのは
差別と偏見の目立ったのです。
彼女達も
生きていくために
当時のことは封印し生きてきたのです。
でも、当時のことを
「なかったことには
できない」と
当時の事実を語ったドキュメント映画。
事実は小説よりも奇なりという。
まさに
今平和で生きていけるのは
出征した兵隊さんのおかげだけでなく
歴史の闇に葬られた
このような女性の戦いもあったことを
忘れてはいけない。
この秋
これからの国のリーダーになる人の
演説を機会が多くあったけど
いつも
靖国神社の参拝が取り上げられる。
そこにはA級侵犯だから・・・とか
そこを問題にしているが
もっと、もっと大きな広い目で
日本のためにいのちを捧げた人々に
純粋に感謝の気持ちで
手を合わせないといけない
と思う映画でした。
カテゴリー: 今日の言葉
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悟るとは?
前回のブログで
太宰治は「パンドラの箱」の中で
人間は死によって完成されると
書いてあることについて
書きました。
同じ文豪であられた
正岡子規が病床にいたときの
日々の思いを書き留めていた
「病床六尺」の中で
悟りについて書かれた箇所があります。
「悟りといふことは
いかなる場合にも
平気で死ぬること思っていたのは間違いで
悟りといふことは
いかなる場合にも
平気で生きていることである」と
書いています。
つまり
悟りとは
自分がどう生きていくべきかを
何か修行をして気づくことではなく
日々の生活の中で気づくこと
今を生きること
すなわち、今を生きていること全てが
悟りなんだと思う。
悟りとは
何を悟るのか?
生きている日々の中で
何を感じたときに悟ったと思うのだろう?
僕は
悟りは学ぶものでもなく
人から教えてもらうものでもなく
こころで感じるものではないのかと思う。
こころで感じたものは
きっと魂が学ぼうとしたもの
現世に生まれてきた目的
そして魂の学びを感じられたときに
悟ったと思うのではないのでしょうか。
僕も
病気をして
全てを失ったときに
自分の生活、生き方に向き合い
「愛」の大切さを知りました。
「愛」を学ぶために
この世に生まれているのだと思います。
だから
今もこうして思い、感じたこと
つまり僕の感じた小さな悟りを伝えたくて
毎日ブログを綴ってえるのだと思います。
今の生活、今生きている瞬間
全てが悟りの瞬間なんです。
そんな悟りの時間を
大切に愛を込めて過ごすことで
自分の生きていく道、つまり悟りの道が
広がっていくのだと思います。
カテゴリー: 今日の言葉
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心豊かに過ごすためにできること
11月になると
朝晩は冷え込む日も多くなりました。
診療のある日は
日が昇る前に家を出て
神様にごあいさつと
日の出を拝んで一日をスタートするのが
僕の日課です。
でも、休日は
時間に縛られることも少ないので
少しのんびり起きて
家族の予定に合わせて
ゆっくり朝食を食べ
それから
神様のお参りに出発します。
いつもは
まだまだ暗く
すれ違う人も
まばらな感じで
みなさんおそれぞれのルーチンワークが
あるのでしょう
黙々とおつとめをされている感じで
すれ違っても
挨拶さえ、はばかれそうな気がします。
でも
休日にすれ違う方は
お散歩を楽しまれる余裕もあるのでしょう。
すれ違うと
あいさつはもちろんのこと
ちょっと立ち止まって
ひと言、二言雑談をすることもあります。
お互い気持ちに余裕があるからでしょう
飼い主がリラックス為ているからでしょうか
一緒にお散歩しているわんこも
尻尾を振ってあいさつしてくれます。
お互いとても心地よく
別れ、お散歩が続けられます。
これは休日だからではなく
気持ちの余裕を持って
一日のスタートができれば
その日はきっといい一日になるのでしょうね。
休みの日だけでなく
仕事の日も
気持ちの余裕を持って
行き交う方々とあいさつしようと思います。
そんな些細や心がけ一つで
その日が心豊かな一日に変わることは
間違いないと思います。
カテゴリー: 心の調べ
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死によって完成する
生きるとは何か
死ぬとは・・・・
この永遠の命題について
昔から
多くの哲学者を始め知識人が考え
各々の考えを残しています。
昭和の文豪太宰治は
著作「パンドラのはこ」の中で
こんな風に語っています。
「人間は死によって完成せられる
生きているうちは
みんな未完成だ。
でも、虫や小鳥は
生きて動いてるうちは完璧だけど
死んだ途端にただの死骸だ。
完成も未完成もない
ただの無に帰る。
人間はそれに比べると
まるで逆である。
人間は死んでから、1番人間らしくなる
というパラドックスも成立するようだ」と。
つまり
今生きているのは
何か目的をもち
自分を成長するために生きていると
太宰は考えたのだろうか?
死は終わりではなく
死をもって生きて経験したことが
意味をなす。
肉体以外に魂があること
魂の成長のために
生きているのだと言っているのか?
太宰治は
破天荒な人生を生きた方のように
僕は思うのが
何かの成長を意識して
生きてこられたのかもしれない。
太宰治が
魂のことを信じていたかどうか
確認する術は
今の僕にはないが
きっと人は
魂を持ってこの世に生きていて
死ぬと、肉体は死骸だけれど
魂はその後もいきると
考えていたのかもしれない。
太宰治の話を聴くことができるなら
是非きいてみたい。
あなたは、魂の成長を意識していきていたのですか?と
カテゴリー: 今日の言葉
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遠い山なみの光
人は希望と夢を持っているから
生きていけるだ。
ノーベル賞作家カズオイシグロ原作の
映画をみた。
カズオイシグロは長崎出身である。
過去の長崎と現在のイギリスとを
人生を描きながら話しを進んでいく。
長崎で原爆を経験した
二人の女性のその後を描いた人生。
被爆地にいたことで
原爆の恐怖、周りの偏見、将来の不安を
抱え生きている二人の女性。
新しい希望を描いて
外国で生く決断をした二人。
しかし、そこでも苦しい現実が待っていた。
戦争が
どんなに深く傷跡を残し
運命を変えてしまう。
でも、生きていかないといけない現実。
平和について改めて
考えさせられた映画だった。
カテゴリー: 今日の言葉
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こころがこもった言葉
南極観測船「ふじ」に乗り込んでいる
夫に宛てて
日本にいる奥さんが打った電報は
ただ3文字「ア ナ タ」。
たった3文字の言葉だけど
その言葉に込められた思いが
当事者でなくても伝わり
奥さんの夫を思う気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
人は言葉を使うことで
多くのことを人に伝えることができるようになった。
そして
現代は、本、手紙、電報、作文だけでなく
SNSを使って
今感じることを文章で伝える手段を多く持つようになった。
実際
直接話すよりも
文章で思いを伝えることが増えてきた。
かつては
目を見て話しなさいとよく言われた。
発する言葉が相手に伝わるように。
でも今は
どんな文章を書く時には
「こころを込めて」書くことが大事になってきているような
気がするのです。
カテゴリー: 今日の言葉
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目に見えないのは人間だけ?
目に見えないものって
見えているもの以上にあるのではないかと
思ったりします。
実は
人間だけが見えてないのかもしれないし
見えないものがあると思ってるだけかもしれない。
虫は、人とちがって複眼と言われる目を持っています。
魚も魚眼と言うし
鳥も大空から獲物を見つけられるめを持っていたり
蝶は、紫外線が見えるそうです。
ですから、モンシロチョウは
紫外線を吸収する雄のからだは黒く見えて
逆に雌のからだは反射して白く見えるらしいのです。
このちがいは人間には全くわからない。
つまり
人間が見えているものが
すべてではないということです。
見えてないと思ってるのは
ひょっとして
人間だけなのかもしれません。
だから
見えないからないのではなく
僕たちが見る力がないだけなのかもしれません。
見えないから
すべて否定する
見える世界だけにこだわる
科学の姿勢も
軌道修正する時を迎えているのかもしれません。
今見えているものって
本当は見えてないのかも
真実は見えてない部分にあるのかもしれませんね。
だから
僕は診療中も
目に見える人のからだを診るのはもちろんですが
めにみえなていないもの
心、魂からの訴え、サインを
見落とさないように
全神経集中して診療しています。
カテゴリー: 真実の医療
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