年別アーカイブ: 2025

風の時代

最近よく聴かれる言葉の一つに
風の時代。
風の時代ってなんでしょう。

風の時代という考え方は
西洋占星術の世界で
使われている考え方なんです。
西洋占星術の考え方なので
星の動きと星座の位置関係で
社会の動きを見るんですね。

風の時代は
木星と土星が大接近する時の
星座の位置とそこの星座の場で
判断するもので
これまでは
牡牛座、乙女座、山羊座の場にあり
地(土)の時代であり
200年以上続いたそうで
それが
令和2年12月22日から
水瓶座の場に入り
風の時代に入ったというのです。

風の時代になると
これまでの時代と何がどう変わるかと言えば

物質中心→精神中止
お金を求める→体験、情報、人脈を求める
モノを持つことが大事→モノは必要なだけあればいい
蓄積型→循環型
経済優先→いのち優先
縦社会(ピラミッド型)→ 横社会
短期的利益優先→長期的発展優先
外形的なしあわせ→内面的なしあわせ

という風に
世の中の価値観が変わるそうです。

占星術的、占い的な考え方ですが
前時代の地の時代に入ったときには
資本主義の原動力にとなった
産業革命が始まってました。

これからの
変わるであろうキーワードを眺めているとコロナの時代に
最近使われる、変わってきていると感じる
キーワードがならんでいませんか?

僕は
風の時代に入ったことを
肌で感じたのは
2021年の東京オリンピックだったと思います。

それまでのオリンピックの姿とは
全く違う形で行われたオリンピックでした。
地の時代を象徴しているオリンピックが
風の時代に入ったことを
全世界に示した
それが日本から発信したことに
なにか深い意味があった気がする今日この頃です。

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法然が語った生まれ変わり

法然はなくなる時に
自分は極楽浄土から来て
この度の往生は楽であったと語っています。

法然は一度目は
釈迦の生きている時に
インドで生まれ、実際に釈迦の説法を聞いたという。
二度目は、中国に生まれ
浄土の教えを布教し
三度目は日本に法然として生まれ
今死んでいこうとしていると
亡くなる前に語ったというのです。

この話しが真実かどうかは
確認のしようがないけど
当時から輪廻転生の考えがあったことは
はっきりしています。

医学の進んだ現代でも
輪廻転生の事実は明らかにされていないけど
このからだにある遺伝子は
不死と言えるのではないでしょうか。
我々の体内にある遺伝子は
個人が死んでしまっても
その遺伝子は、こどもに、孫に・・・と
子孫に受け継がれていくのです。

自分の肉体はなくなっても
現在生きてきた事実は
遺伝情報として生まれ変わっていくのです。

仏教が伝わる前に
日本人は、なくなると
西の方にあるあの世にに行って
一足先にあの世に行っていた父、母とともに
この世と同様の生活をし
この世に子孫ができると
誰がこの世に行くかを決めてくのだという
輪廻転生を示す話しを信じていたという。

人の死は終わりでなく
その後も子孫として生き続けるなら
今という時間は自分だけの時間でない
とても責任のある時間になりますね。

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挫折を怖れるな

同じ人生なら
成功したいと思うし
失敗したくないと思うのは
と思うのは当然だと思う。

成功する人生を歩みたいと思うけど
でも、実際は失敗、挫折の経験も
大事なことだと思うのです。

なぜなら
挫折を経験した瞬間に
その時に考えていた
損得勘定から離れられるのです。

人は
自分欲を満たしたいとか
人から求められたい
自分のためになることをしたい
とか
一つの行動を行う時に
こうすればうまくいくだろうと
その行動で少しでも得をしたいと
思ってしまいます。

でも
その行動で失敗を経験した
挫折を感じた瞬間に
今まで突き進んで、これから進むはずだった
計画が吹っ飛んでしまうのです。
その瞬間
今まで考えていた未来の絵図が描けなくなり
全てのことをリセットでき
この挫折w契機に
次なる目標や未来を描くことができるのです。

だから
挫折を経験することで
もっと大きな、それまで考えられなかった
真の自分に向かって進むことができるのです。

まさに、苦難は幸福のもんなんです。

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五感で感じる大切さ~こども達の健診で感じたこと~

5月、6月は健診の時期。
保育園、小学校、中学校に
出向いて健診をおこないます。

日頃は病気の患者さんを
診ているので
ひとりひとりの持っている
エネルギーが違います。

診察していると
ひとりひとりから
元気エネルギーをもらって
その後の診療にも
元気をいただいている
こども自体エネルギーにあふれている
太陽なんですね。
そんな元気なこどもたちに囲まれて働ける
とても有り難い仕事なんです。

先日小学校の健診に
行った時のこと
これまでと違う異変に気がついたんです。

それは
めがねをかけている子が目立つ。
今まで
高学年になって、ちららほらだったのですが
低学年から
めがねをかけてる子が
次から次に
僕の前に立つんです。

以前は
2年生なら
ひとりいるかどうかぐらいにしか
記憶にないのですが
次の子も、次の子も
連続してやってくるんです。
それも、かわいいピカピカのめがねをかけて
最近目がわるくなったのかな?
健診が終わる頃には
元気に過ごしてるようだけど
目のことが気になりました。

僕は内科健診担当なので
身体的評価が仕事が
目については
眼科の先生がうけもつので
僕の領域ではないけど
目が悪くなる生活を
してるのではないかと気になり
特にこの一年の変化が気になりました。

保健の先生に尋ねると
やはり近視のこどもが増えているとのこと。
きっと
この一年
オンラインや学校生活を含み
こどもたちの生活の変化を感じます。

きっと目を使うことが増えているんでしょう。
スマホを使ったり
ゲームをしたり
本を読んだり
室内で過ごすことが多くなり
目を酷使してるのでしょう。

現代は目を使うことが
おとなでも増えています。
町を歩いてる人も
スマホの画面を見続ける人の多いこと。
目からの情報を得るばかりでなく
耳で鳥の鳴き声を聞いたり
花で咲いてる花の匂いを嗅いだり
舌でお手伝いして作った料理の味を楽しむとか
肌で空気の暑さ、湿度を感じたり
五感を意識して
自分の周りの環境
様々変化する状況を
文字通り肌で感じることって
大切なんではないかと思います。

ネットを使うと
様々な情報があふれる時代だからこそ
目だけでなく
全ての五感の感覚を酷使して
感じ、判断することが
大事になるのではないでしょうか?

まず朝起きたら
外に出て
朝の状況を
目をつぶって、五感で感じてみませんか?

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中今を生きる

どんな時代になっても
大切なのは中今で生きることだと思う。
つまり
今に集中して生きること。

過去に囚われることなく
たとえ
どんな過去であっても
今があるのは、過去を生きてこれたおかげ。

だから
今この瞬間と同時に
過去にも感謝し
過去を喜び
過去を懐かしむ心をもって
生きたら、もっといい人生を生きられる。

そうしたら
未来を心配しなくてもいい
今というこの瞬間を大切に生きることができれば
未来が訪れるのが楽しみになり
未来の喜びへとつながっていく。

今何も心配する人はいない
悔いているのは過去のこと
憂えているのは未来のこと。

生きているのは
過去でもなく、未来でもない
今という時間だけ。

 

悔いる気持ち
憂える気持ちは
心だけでなく
人の体も壊してしまいます。

糖尿病で糖質制限中
ケーキをどうしても食べたくて
半分だけ食べてしまったとしたら・・・

罪悪感をもって食べたてしまうか?
とても美味しいといって食べたか?
この二つで結果は」おおちがい。
食べたことを悔やめば
病気は進行してしまうでしょう。

運動不足を指摘されて
きつい運動をイヤイヤするのと
5分でも軽い運動をした後
いい汗かいた?と思えるたら
からだの調子はずっとよくなるでしょう

その時を
喜んだか、苦に思ったかで
その後の結果はきっと大きく変わってくる。

病気を進行させるか
健康に近づけるかは
その時の心ひとつにかかっていても
不思議ではない

人には
いつの日か死は平等に訪れる。

その日を
どんな風に迎えるかは
今の自分自身にかかっている。

中今に生きることの大切さを
教えてくれる言葉。

 今を大切に
今日も、明日も生きていきましょう。

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ミネルバのふくろうは日暮れに飛び立つ

この言葉は
ドイツの有名哲学者、ヘーゲルの言葉です。

ふくろうは、ギリシャ神話では
女神アテネ(ミネルバ)の象徴であり
知恵や技芸、学問などをつかさどると言われます。

そして
ふくろうは黄昏時から
活動を始めるのです。

まさに
これから人生の黄昏時を迎えた
還暦を迎えた人に送られた言葉では
ないでしょうか?

このヘーゲルの言葉が示すように
黄昏時にこそ知恵が飛び立つ。
つまり
人間の知性は
年をとっても決して衰えることなく
年おいて、あらゆる所に衰えがきていても
体の機能が落ちても
不思議なことに
むしろ知性は衰えることなく
研ぎ済ませれていくのです。

これはなぜなのか?

きっと知性は
今までの経験、知恵がコネあって
化学反応を次々起こしていってるのでは
ないでしょうか。

知識の量、経験値は
年をとれば増えていくのです。
これが・・・・
ヘーゲルのいった言葉
そして、今僕の生き方を支えてくれる言葉です。

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『よかれかし』の心を持って

以前、美智子上皇皇后様が
「皇室は祈りでありたい」と
仰られたことがありました。

その本意を記者が尋ねると
「国の道を選ぶような判断やその方法は
その国々の人々の
叡智であり判断であると思います。
それに対して皇室というのは
常に『よかれかし』と思って
祈り続けるのが大事なのかと・・・・」と
お答えになられました。

『よかれかし』とは
『よくなりますように』という
意味の古語のようです。

医師は
その時、その時代に
できる最高、最善の叡智を持って
患者さんを救うために
日夜患者さんと共に戦っています。

しかし、
どんな時代になっても
どんな患者さんが来られても
どんなに医学が進歩したとしても
どんな高度な技術を身につけていたとしても
美智子様のお言葉のように
いつ何時も「よかれし」(「よくなりますように」)という
願いを持って祈る心がなければ
患者さんを心から救う事は出来ないのだと
思います。

世の中の病に苦しむ全ての人が
「よかれかし」
でありますように。

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なぜ、生きがいがあると健康になるのか

最近、生きがいがあると健康に過ごせるという
発言をよく耳にします。
生きがいが健康と関係があるなんてこと
そんな主観的なこと
スピリチュアルなことと医学的なことと
結びつけることを研究することは
ちょっと前まではナンセンスなことでした。

医学的な証明は難しくても
実際
生きがい、つまり楽しいこと、熱中できること
あるいはやるべきことがあれば
気持ちに張り合いが生まれ
前向きな気持ちになれる。

こころが元気になれば
日々の生活にも意欲的になり
社会的に元気に働こうという気持ちになり
そうあるために
いつまでも健康でいたいと
健康意識が高まり
実際健康でいようという行動が変わります。

実際に生きがいをもつと
健康になるストーリーは語れても
現代医学ではそのメカニズムを解明できていない。

現代は医学情報にあふれているけど
これをしたら体にいいとか
健康になるためにこうしなければという
義務的なこと、禁止を薦めることも多い。

これは薦められても
楽しくないから、長続きしない。
それなら
自分の好きなことや楽しみを見つけ
それに打ち込むことの方が
健康になれるのではと思うのです。

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同窓会に参加する理由

還暦を迎えた今年
旧友との再会する機会が増えてきました。
先日も高校の同窓会に参加しました。
そこには
恩師にお会いして
さすがに学生時代よりは見かけは
だいぶん年月を感じますが
その話しぶり、やさしい眼差しは以前と変わらず
恩師と話していると
僕の時計が逆回りして
あっという間に学生時代の自分に戻るから不思議です。

そして
旧友はかなり変わりました。
会っていない期間が長いからなのか
顔を見てもすぐには思い出せないのです。
それは自分だけでなく
旧友も自分を観てもよそよそしいのです。
そして、初めましてのように名刺交換して
名前をみると・・・
「あ、○○ちゃん、元気にしとった?」
「今、何してる?」と
それまでとは打って変わって話しが始まりだし、
どんどん時計の針は逆回りしだし
僕たちを懐かしい時代に戻してくれるのです。

そして、最後は同窓会は
とても楽しかった・・・となるのですが
同窓会の意義をちょっと考えてみると
昔の知人、恩師に会いたいという気持ちは
昔の自分に戻りたいという願望の現れかもしれない。
また自分の顔かたちは直接自分では観られないから
自分と同じ年代相手に対面し
相手に違和感がなければ、
老けたことを自覚しなくて済みます。
そうすると少しは気持ちから若返って刳るのかもしれません。
同窓会っていいことがたくさんある。

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悪魔を作ったのは誰?

神についての話はしたことはありますが
悪魔について
話したことはないので
今日は悪魔について。

悪魔とは
神に対する敵勢力としての存在
キリスト教的には
ヴァンパイアと言われることも
あります。

キリストに敵対する存在なので
ヴァンパイアは
十字架を見るともだえ苦しみ
聖水で虐待される運命にあります。
それは
イエスを神としての力を
示すため存在しているのです。

悪魔は
キリスト教において
神の存在をわかりやすく説明する
ために人間が作ったのだと思います。

科学が発達した現代でも
政治家の中で
敵を作り
自分の正当性を示す手法を
とられてる姿を目にします。

人間は
敵を作って説明すると
行動しやすいのでしょうね。

コロナウイルス流行していた時
コロナウイルスをいいやつと思っった人は
あまりいなかったでしょう。
やっつける、退治することが善だと考え
人々は行動しました。

コロナウイルスは
本当に悪魔だったのでしょうか?

コロナウイルスを悪魔のような存在に
祭り上げたのは
ウイルス自身ではなく
人間ではないでしょうか?

ですから
ひとりひとりが
冷静になり
今この時代、悪魔の存在の有無を
考えないといけない。
作られた悪魔に踊らされていませんか?

悪魔っているのでしょうか?
悪魔は人間が作り上げた虚像。
悪魔はあなたのこころの中に住んでいるのかも
しれません。

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