年別アーカイブ: 2025
血糖値の乱高下に注意
世の中には
美味しくて甘い物がいっぱい。
次から次に新しい物が出てくるし
とても幸せな気持ちになるけれど
甘い物には注意。
空腹時に
いきなり糖分の多い、甘い物を食べると
血糖値が跳ね上がる。
血糖値が跳ね上がると
これに反応してからだは
血糖値を下げようと、
インシュリンが過剰に分泌され
そのために低血糖におちいるリスクがあります。
甘い物を取り過ぎると
低血糖状態が慢性化してしまいます。
低血糖状態が続くとどうなるでしょう。
からだの中で糖分を一番利用するのが脳です。
ですから、低血糖状態が続くと
脳の活動が低下し
やる気、好奇心、集中力、思いやり、発想力、忍耐力、記憶力などが
低下してしまいます。
ですから、甘い物の誘惑に負けてしまうと
人生が全く違ってしまうのです。
患者さんの意味
病院に行くと
「患者さん」と呼ばれます。
「患者さん」を英語で言うと
「Patient」耐える人
つまり
患者さんは、耐えるために
病院に来ているのでしょうか?
病院にいくのは、
病気やけがによる肉体的・精神的苦痛から
解放されたいからじゃないのでしょうか?
患者さんは
耐えられない苦しみから
解放されていることを望み
僕の目の前に座ってるのです
医者である僕は
目の前の患者さんの
苦しみをとるように
依頼されているのです。
だから
苦痛がさらに増すようなことは
それが現代最高の治療だとしても
簡単に施してはいけない。
患者さんが
何から解放されたいのか
苦しみの本当の原因を
知らなければ医療は始まらない
そして
耐えている苦しみから
完全に解放するために
全身全霊を込めて力を尽くすのが
医師としての使命だと思う。
本物の医者とは
世の中には医者不足だといわれていますが
350万人といわれています。
この数字が多いか少ないかは様々な意見が
聞こえてきそうですが
人口1000人あたりの医師数は2.4人
この数は世界32位チリ、メキシコと同じ数です。
ちなみに、医療の充実しているスウェーデンは4.1人です。
そして
日本は医師の専門医制度が進んでいるので
患者さんが受けたい治療をしている医師は
意外に少ないことになります。
でも
少ないなりにも
医師はそれぞれの理想を掲げて
精進しています。
僕が目指す、医療のゴールは
「病気をしないためには
どう生きればいいか」ということ。
例え病気があったとしても
死ぬまで明るく元気に生きる生き方を
伝えたいと思っています。
だから
例え病気になったとしても
「治してあげるから
安心して僕の所に来なさい」と
胸を張って言いたいのです。
日本語は深い
毎日日本語を使って
ブログを書いてるし
ブログを書くだけでなく
毎日日本語を使って
日本人である僕は
当たり前のように
日本語を使って生きている。
何気なく日本度を使って
暮らして生きているが
何気なく使っている
日本語の単語一つ一つに
意味があるのです。
例えば、東西南北の意味は?
東は 陽の頭がでるかから
陽のかしら(頭)→ひがし
南は みんなが太陽を見るから
みなが見る →みなみ
西は にを下ろして、仕事を終えるから
にをしまう →にし
北は 気がたまる
北はエネルギーをためる →きた
だから
北枕で眠った方が
よく眠れると言います。
ちなみに
夜と言う言葉は
気が蘇るという意味
からきているようです。
ですから
夜遅く寝るのはよくないのですね。
エネルギーが復活することなく
朝を迎えると
その1日が元気に過ごせず
そんな生活をくり返していると
エネルギーが枯渇し
病気に向かうことが想像できますね。
夜は
エネルギーを充填する時間
睡眠が大事だと言うことを
昔から日本人は知っていたんですね。
さりげなく使っている
日本語は深い
これからの時代
グローバル化になってきているからこそ
日本人が
日本語を大切にしていかなければなりませんね
生まれてきた理由
僕たちは
この世に何をするために生まれてきたのか。
その理由を考えていきていくのと
いかにのかでは
生きている人生の意味が大きく変わります。
僕たちは
苦しむために、
この世に生まれてきたわけではないのです。
もちろんぜいたくして、栄華を極めるためでもない。
人間には
この世にある恵みを
より良いものに進化させるために
知恵を与えられて
生まれてきたと思うのです。
しあわせの呪文
【生活道⑦ : 喜んで支払う】
月末になると、
色々な支払いがやってきます。
収入はうれしいけど
支払いはしぶしぶ
となりがちですけど
倫理法人会創設者の丸山敏雄先生は
”支払いは早く””支払いは喜んで”と
おっしゃっています。
支払う時に
いやいや、嫌な顔して支払うと
支払いを受け取る方も
何だか、悪いことをしたような
嫌な気持ちになってしまいます。
支払われた人だけじゃなくて
買った物でも、受けたサービスでも
悲しい顔して支払われると
喜んでもらえなかったと
きっと
悲しい気分になってしまう
に違いありません。
そんな気持ちは
支払う側、支払われる側
だけにとどまらず
じわじわと周りの全ての
人、物にまで
広がってしまいます。
だから、どんな時も
清々しい気持ちで
喜んで支払うことが
大事なんだと思います。
喜んで支払う
その潔さは
きっとその後
支払われた側との
信頼関係が深くなることでしょう。
出し惜しみすると
相手も買われたものも面白くないのです。
喜んで支払っていたら
お金は喜んで出て行って
喜んで帰ってきてくれる
そんな気がします
すると
お金に心配することはない
生活がすごせるのではないでしょうか。
☆ 暑い夏本番。
この春、家に巣を作ってたツバメが巣立って行きました。
ツバメの巣立ちでも、ちょっぴりさみしいけど、無事に4羽
巣立ってくれたことをうれしく思います。
来年また元気に帰ってくることを願って、 今日はビールで
乾杯。6
病気に感謝
病気になって5年が過ぎましたが
僕の生活は
病気する前と
同じようにできるようになり
できるのは
リハビリのおかげであることは
間違いありません。
しかし
病気の前後と全てが全く同じというわけではありません。
どうして
治った部分と
治らなかった部分がでてきて
しまったのでしょうか?
それは
僕が今生きていくために
必要なことは
回復できることができ
改めなくてはいけなかったことを
学ぶために
完全回復できなかったのかなぁと
思ったりします。
一番異なることは
ひと言で言えば
走ったり
ある行動をするときに
どうしても今までよりも
時間がかかってしまうことでしょうか?
走れなくても
一歩一歩歩くことが
大事なんだと言うことに
気がつきました。
振り返ってみると
それまでの自分は
忙しく、走り回るのが
いいことだ、
時間は自分で作って
働き、色んな会にも参加してました。
でも
生き急いでいたことを
教えてくれたんですよね。
今回の病気で
一歩一歩確実に
今日会った人とじっくりと
向き合える時間
そして
魂と魂の交流をするべく
生きていきなさいと
教えてくれた気がします。
気づきを与えてくれた病気に
今は感謝の気持ちです。
神との対話
入院中リハビリ以外の時間は
安静の時間でした。
からだを休めるのが目的だけど
こころを休めるのも大事なことでした。
そこで
日頃読めなかった本を
例えば小説など
気持ちがゆっくりしないと
落ち着いて読めないような
小説など中心に読む
読書の時間がとれました。
また
買っていたのに
いまだ読んでいなかった
いわゆる積ん読のままだった
本を読むのには
いい時間だと感じ
外泊を許された日に
積ん読されたままの本の背表紙を見渡し
手を伸ばしたのは
Nウオルシュ著「神との対話」でした。
この本は、全く普通の主人公が
人生のどん底にあったある日、
突然始まったまった神様との対話を記録した
本だった。
その内容は
主人公に対しても衝撃だったけど
読んでる内に
神が主人公に話しかけている本の中の世界ではなく
僕自身に話しかけてくれているかのように
神が話しかけてくれいる気がしたのです。
神が話してくれた
自分について、人生について
魂について、人生について・・・
様々なことを
何もわからない僕にも
理解できるように
根気強く説明してくれるのでした。
ハッとさせられる
気づきの時間でした。
でも
本を閉じると
神はいなくなり
神はやっぱり
本の世界での話だと思ってしまいました。
そして
神と対話できる
主人公をとてもうらやましく思えました。
本を読む度に
神に出会えるので
僕にとって
読書は至福の時間でした。
本はいつかは終わります。
読み終わった時は
まだまだお話したい気持ちになりました。
また神に会いたいとおもってたからか
別の作者の
神様との会話を記録した本にも出会うことになるのです。
その本のご紹介はまた次の機会に
この時間は
神様とほんとに会ってたような
対話していたかもしれないなぁ
と今では思うような
不思議な時間でした。
「自分だけが」でいきてはいけない
「自分だけが」「自分さえよければ」
というのは、自然の法則に反した生き方です。
自然に逆らって生きると
ろくなことがおこらないのも
自然の法則。
世の中の進化や向上のため
人様の幸せのために
やるべきことをやる。
そんな心がけて
生きていると
天はきっと味方してくれるでしょう。
