日別アーカイブ: 2025年11月10日
よくなろうと頑張らなくていい
病気になって、治療が始まると
周りの人は
病気に負けるな
頑張れ・・・と応援し
病気の本人も
その気持ちに応え
病気を治すことを
闘病などといい
病気に負けないように
頑張る気持ちを自分自身で鼓舞します。
確かに
病気から治すために
周りの人の
自分を思う気持ち
悲しませてはいけない
まだまだ役割があると
自分の気持ちを鼓舞して
健康を目指せば
からだは患者さんの気持ちを受け取り
病気を治してくれるでしょう。
ただ単に
”よくなろう”と思うだけでは
決して
からだは健康に向かわないし
あまりいい結果は生まれないことを
傍で見ていて
感じることがあります。
これだけ頑張ってるのに
なぜ・・・と
治療するものとして
歯がゆくなることもあります。
でも
からだ(肉体)とこころがつながっている
人間の根本は
魂ではないかと
思うようになって
少しずつですが
そのちがいが見えてきたきがします。
ただ
「よくなろう」と思うことは
決して悪くない
力強いご自身の強いお気持ちだから
力になってくれるはずですけど
よくならない時、ひょっとして
「今、この状態は自分にとってよくない状態だと」
病気になった自分のことを
憎んではないでしょうか?
ここに至るまでの
ご自身の生き方を振り返ることなく
ただただ、病気を憎む。
それをバネに病気を戦う、闘病する力にするのですが
ここまでからだを苦しめたのは
からだではなく
ご自身ではないでしょうか?
それに気づいてもらいたいと
からだ自身は思っているのではないでしょうか?
もし
その点に気づくと
からだが気づいてくれてありがとうと
涙を流して!?喜んで
あなたの治りたい気持ちを
受け入れて
あなたのために頑張ってくれる
つまり
治癒に向かうはずです。
病気になったとき
ただ「よくなろう」と
闘う前に考えないといけないことがあった
病気の時も自分のからだに対して感謝することだと
僕も自分の病気をして
気がついたのでした。
清少納言
清少納言といえば
「春はあけぼの・・・」ではじまる
「枕草紙」の作者で有名です。
実は幼い時父・清原元輔が
周防の国司になられ、現在の防府市にあった
周防国府に赴任されていたようです。
自分が今生きているところに
1200年前の超有名な女流作家がいたなんて
とても浪漫を感じてしまいます。
ただ清少納言は
清原元輔の晩年にできた子で
赴任を命じられたのは974年。
清少納言は966年頃生まれたと言うことなので
清少納言が当時のこと(思い出)とわかることを
残念ながら書き残してはいません。
ただ「枕草紙」160段に
「ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる船。
人の齢。春、夏、秋、冬」という
文章を残しています。
この文章は
おだやかな海をゆったり
帆をあげた舟に乗っている時のことを思いだして
書いているのでしょうか。
すれ違う船はどんどん過ぎていく。
きっと瀬戸内海を
父親と乗った時の楽しい思い出を思いだし
きっと
今は自分もおとなになり
もしかしたら父親も亡くなっているかもしれない
そんな時間の流れを感じたのでしょう。
きっと
清少納言にとって
防府にいた時は
父親と過ごした楽しい思い出の時間だったことでしょう。
