日別アーカイブ: 2025年5月21日
いのちは地球より重い
僕は
人間が生きていくには2つの面が
必要であると思います。
ひとつは
衣食住という動物的欲望を満たす
いわゆる生活面を重視する面「生活体系」
そして、もうひとつは
真善美を求めて行動する人格を形成する
いわゆる生命を重視する面「生命体系」
この両面から
いのちは支えられていると思います。
もう少し具体的に言うと
生活体系とは、いのちを支えている活動のこと
つまり
利益や欲望を充足させるという経済法則を重視したもの
これに対して生命体系とは
いのちは尊いものだというような
親子のつながり、日本で生まれたことによって
培われた道徳的なつながりとも言えるもの
この2つの体系、価値観の中で
僕たちのいのちは支えられ
生きているのだと
改めて自覚させられた気がします。
昭和50年代に
日本赤軍がダッカで飛行機をハイジャックし
身代金などを要求したダッカ事件がありました。
その時の総理は
人間のいのちは、地球よりも重い」と
様々な批判を交わして
16億もの身代金を決断して
乗員乗客のいのちを救ったと聞きました。
ダッカ事件から時は流れ
時代は昭和から平成、令和と変わり
その間平和で豊かな時代を過ごしすぎて
明日の喜びより、今日のパンを求める生き方を
してきた日本人の体質が
決断できなくさせているような気がします。
人はパンがなくては生きていけないけど
パンを美味しく、そして有り難いと思える気持ちを持って
僕たちは生きていかなければならないってことに
気づき、その気持ちを大事にして
これからは生きていかなければならないのでしょうね。
悪人も善人もない
人間には
悪人でも善人もないと思うのです。
でも、実際人は
誰もが大なり小なりがあるとしても
いいことだってするし、ちょっと悪いことだって
することもあると思います。
罪になるかならないかは
ごく単純に、その時
思慮がかけていたかどうかってことに
なるのではないでしょうか?
人の道を踏み外してしまうのは
その人が悪人だからということではなく
愚かさではないでしょうか?
愚かな行為をしてしまうのは
ふとした瞬間、こころを愚かさに支配されてしまった
からではないでしょうか?
人間にはいい心も悪いこころもある。
罪を犯してしまうのは
その人が悪人だからではなく
その人をそうさせたことを汲み取らないと
おぇないのだと思うのです。
だから
人を責めてはいけないのだと思うのです。