この言葉は禅の言葉で
「どんな一日もよい日だ」という意味だと
解釈されますが
今日、今がいい日だ、今日が最良の一日だとすると
明日もいい日、明後日も、明明後日もいい日になるし
逆に
昨日も、一昨日も最高の日を生きてきたとしたならば
毎日を好日で生きていたら
生きている日にいい日も悪い日もないのでは
ないでしょうか?
だから
今日が好日か不好日かということには
意味がないということを言っているのではないでしょうか?
要は
毎日がよい日なら、もはやいいも悪いもないという意味を
この禅語はいいているのではないでしょうか?
実はこの禅語の前には、こんな言葉があります。
「十五日以前は、則ち問わず。
十五日以降は則ち如何」
「十五日以前のことは問わないが
十五日以降のことはどうだ?」という意味です。
これは
以前と以後を
人生の前半と後半と解釈することもできます。
この言葉は
人生に価値のある時とない時があるのか?
と問いかけていると思うのです。